サポートビジネスの難しさ(2)

 仕事をしていると、「目標を持て!」や「目的を具現化しろ!」と云った言葉が管理者や指導者から発せられるのは珍しいことではない。 然し、そう簡単に具体化できるものではない。 力量がないのか、努力が足りないのかと原因を考えてしまう。 力量や努力は人によって差はあるだろうが、結果が出ないのは、その様なことが原因だとは思えない。

 学校の試験前の一夜漬けだったり、今日できることは明日でもいいかと云う様に、我々一般人は「崖っぷち」にならないと行動に移せないのが常だと思う。 目標を持ったり、目的を具体的なものにするべき状況は、まだ「崖っぷち」状態になっていない、余裕のある場合だろうと思う。

 普通我々一般人は今為すべきことに追われたり、気になったりしているのが日常であり、余裕がある状態というのはそうはない。 目標を持ったり、目的を具体化したりと云ったことは前述の様に今困ることではないため、ついつい後回しになり、折角の余裕がある時はついついリラックスしてしまうのが常人だろう。

 しかし、何らかの成果を修めた諸先輩は、ついついリラックスしてしまう時間を惜しんで考えを巡らした人々であることもよく判っている。 「好きこそものの上手なり」というのは的確な言葉であり、好きであれば、リラックスしてしまう余裕を上手く使おうとするのだ。

サポートビジネスの難しさ(1)


 長年IT、ICT関係の業務に携わっていますが、時代の変遷だけではない難しさ、取っつき難さを感じます。 尤も、私がこの様な業務を始めた頃はITやICTと云った用語は存在せず、専ら「情報処理」、「情報システム」と言われていたと思います。

 技術革新や企業や個人の情報活用の高度化で、情報関係の仕事も複雑多岐に渡るものと変化しているのでしょうか。 然し、それだけでは説明できない解明しなければならない課題が内在していると感じています。

 ”物販”においては、ニーズを掘り起こすことで市場開拓の努力はできますが、”サービスの販売”においては、市場という捉え方ではなく、個別のニーズに呼応することが必要です。
”個別のニーズ”は何なのか? 「それは聞いてみないと判らないし、想像しても意味がない。」と云うのが答えでしょう。
「”個別のニーズ”は何ですか、聞かせてください。」と言っても、「はい。ニーズはこれです。」と提示して貰えることなぞ有りはしないのが現実です。 それは、相手の方が意地悪してる訳でも、出し惜しみしている訳でもないと思います。

では、何なのでしょうか。

 ・ニーズをいつも整理して携えている人は殆ど居られない
 ・伝えるべきニーズは具体性を持っていなければ理解されず、「夢、願望」となる
 ・ニーズは直ちに取り組まなくても困るものでもなく、問題も発生しない
 ・そのため、ニーズを具体的なものする努力が等閑(なおざり)になる
 ・ニーズを承るには、聴く側もある程度の素地素養を必要とする

”ニーズ”というものが持つこの様な特性を理解しなとそれをビジネスに結び付けることができると考えています。

そんなことを言ったら、サポートビジネスなんて、簡単に進められないよね!となってしまいます。 一般的にそれをサポートしようとする側の悩みどころでもあるでしょう。

この様な難しさを踏まえ、次回は、サポートビジネスの切り口を考えてみたいと思います。

コミュニケーションって何だろう?

 平成の時代に終わりを告げようとしている今、団塊の世代と言われる「古希」を迎えた私にとって時代の趨勢を改めて考えさせられることが多々あったと感じる。
異常気象や地質活動の活発化が齎す災害に見舞われた平成の時代は、文明に酔った我々の日常生活が如何に生身の人間のコミュニケーションを失っていたかを反省させられる面を見せつけられた様にも感じる。

 当たり前のことではあるが、文明の発展は基本的な人的要素を破壊する。 移動手段に利便性が高まれば運動機能は低下するだろうし、求めなくても情報が供給されれば情報収集能力が低下する。 自分自身もそうであるが、カーナビの恩恵に預かる様になってからは車を運転していても地理的直観が疎くなっているのを痛切に感じさせられる。

 直接訪ねたり、固定電話で自宅に電話をして伝えたり、相手のことを聞いたりすることもめっきり減った。 その代わり飯を食って居ようが、トイレに入っていようがお構いなしに電話の呼び出し音が鳴り渡る。 自分自身の家族ですら、誰とコンタクトをしているのか正確には判らない。 昔ならリビングに固定して置かれた電話でしか話せないが故に聞かれたくもない話しを聞かれてしまう不自由さはあったものの、発生する問題を未然に察知することもできた。 この様なことを若者に言うと管理社会の様に捉えられるが、コミュニケーションと云うのは適度な管理社会ではないだろうか。

 インターネットやスマホが当たり前の日常の生活手段の一つとなった今、私の様に古い時代を生きて来た人間にとって、コミュニケーションとは何なのかと考えてしまう。

 若者のコミュニケーション手段は、LINE、Twitterに代表される様に、「短文で手軽」、「同時の対多数通信」、「非同期性」、など束縛されないコミュニケーションが故のメリットがあり、取っつき易いのだろうと感じます。 その反面、許容範囲内でのレスポンスがないと苛立ったり、意味のない揉め事に発展している例も見受けられ、本当に何を求めているのかと疑問も湧いてきます。