「システム」と云う言葉

 IT、ICTを仕事にしていると、「○○システム」というフレーズにやたら遭遇する。 自分自身も何かにつけて「□□システム」と平気で言っている。 今更と思うが、そもそも「システム」と言う用語の意味は何なんだろう? 日本語で何と言えば良いのだろうと考えてみた。

 英語の辞書で「System システム」を引くと、
   制度、組織、体制、社会秩序、体系、系統、身体などなど
多様な意味で使われていることが判る。 その中で目を引くのが、
   「整然とした手順、秩序」
と言う説明があり、なるほどなぁと感じた。

 「整然とした手順、秩序」ということは、システムと呼ぶためには、整然としていることが大切なんだろうと感じる。 整然としているとは、「正しく整っている」と云う意味であるから、理に適っていないこと、判り難いことをむやみやたらにシステムと呼ぶのは好ましいことではない。

 IT、ICTに於いても、理に適っており、判り易く、且つ正しい情報処理や情報提供に供することができるものが、「○○システム」と呼ぶに相応しいのだろう。 情報処理は、通常企業の業務を手助けし、その品質と効率に寄与しなければ意味がない。 そのためには、理路整然と利用者に判り易いものが求められる。 自分がその様な観点で企画や設計ができているのだろうか。 今一度見直してみようと思う。

新型コロナ倒産とサラリーマン生活の変化

 新型コロナは、多くの人の命を奪っただけでなく、企業の命をも奪って行く。

 2月2日、ネット上に東京商工リサーチ調べの情報が掲載されていた。 見るとここ1年で1000社を上回る「コロナ関連破綻」らしい。 破綻の全てが倒産とも限らないと思えるが、廃業や休業を含めると、数えきれない企業数になるのだろう。

 緊急事態宣言の1ヶ月延長に伴い、街の飲食の声が聞こえてくる。 飲食に対する自粛勧告が更に続くと飲食関係の営業破綻に止まらず、サラリーマンの日常習慣が変わってしまうとの恐怖の声が上がる。

仕事を終わって、帰宅の途中、親しい仲間とビールで愚痴をこぼし合う当たり前の日常が、当たり前のものでなくなり、たとえコロナが治まっても、真っ直ぐに帰宅するのが当たり前になるのではなかろうか。

 自分自身を考えても、仕事終わりにお客を誘い、仲間を誘う気持ちを抑えているのではなく、誘わないのが当たり前という感覚が、徐々に身に染みついてきた。 コロナが終息すると言っても、ある日突然感染が消滅する訳ではないだろうから、気軽に飲み歩こうという気持ちを突然取り戻すことはない。 コロナが治まったころ、不安を感じながら、徐々に徐々にそんな行動が甦ってくるのだろうから、相当な時間がかかる。

 また、テレワーク馴れしてしまったホワイトカラーたちは、きっと仕事の仕方を変えてしまうだろう。

 コロナ蔓延の今も怖いが、コロナが治まったと思えるその日以降も日常の怖さを感じる。

コロナとテレワーキング

 新型コロナ感染症がニュースの話題になって、早や1年以上の時間が経過してしまった。 「三密」、「安倍のマスク」、「ソーシャルディスタンス」、「自粛」、「ロックダウン」など、それまで聞くこともなかった言葉が当たり前の様に飛び交い、今日に至って、感染者は39万人を超え、死者も5700人を超えてしまった。 諸外国に比べれば被害は少ないと言えるかもしれないが、大きな損失であることに変わりはない。

 1年を経過しても、緊急事態宣言を解除できない状況に、生活、仕事、経済は混沌としてきていると言える。 リーマンショックも大きなダメージを受けたが、新型コロナ蔓延は単に経済の歪みだけの問題ではないことでの影響が大きいし、回復にかなりの期間を要するのではないかと感じる。

 就活、大学受験にも多大な影響が出ている様子。 特に就活においては、コロナ蔓延は大きな影を落としているらしい。 また企業活動においても、仕事の仕方の改革ではなく、人流抑制の目的で通勤を自粛するという本来の目的ではない変革となってしまった。

 個人的な感想ではあるが、仕事の仕方から派生したニーズではないテレワーク、いずれ企業活動に大きなダメージを与えるだろう。