電車の中の光景

 電車に座っていると最近は新聞を読んでいる人を殆ど見掛けなくなった。 長い時間の経過の中でゆっくりとした変化なんだろうと思う。 20年ぐらい前は、通勤の満員電車の中で新聞に見入るサラリーマンが多く居たのを思い出す。

 新聞から得られる情報が今日のビジネスに大きく影響するのは紛れもない事実であるが、インターネットや電子媒体の情報が多くなったことで、通勤の寸暇を惜しんで電車で新聞を貪る必要はなくなったのだろうか。

 どこの家庭も新聞を購読し、自宅で購読していない経済紙やスポーツ紙は駅の売店で手に入れる。 そして満員であることにはお構いなしで新聞を広げる。 隣に立っている人は横目で新聞を避ける。 当時はそんなことは当たり前だったし、駅に着いて満員から解放された瞬間にそんなことは忘れてしまっていた。

 時代は過ぎ、今は新聞がスマホに置き換わった。 しかし、昔の新聞がスマホに変わった様にも思えない。 別に覗いて見ている訳ではないが、殆どの人のスマホの画面は大きく2種類の表示がでている。 一つは画面の画像が激しく動く。 たぶんゲーム。 もう一つは画面の左右からメッセージが生えているLINEと思える画面。 どの人も忙しそうに画面の上で指を走らせ、タップを繰り返す。

 新聞の時代もスマホの時代も、周りの人にはお構いなしで自分の世界で充実を図っているらしい。 いつの時代も、乗っている以外にすることがない電車の中の光景なんだろう。 然し、私としては、情報の意味をもう少し考えたい。 次回の投稿に!

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