「見当」という言葉

 浮世絵などの緻密な絵が版画であることを知ったのは、高校時代だった様に記憶している。 油絵や水彩画とは違う趣きがある日本の版画は海外の画家やコレクターにとっては重要な芸術品らしい。 芸術に造詣を持たない私は深い魅力を感じる訳ではないが、その細かい仕事には驚く。 しかも選ばれた材質ではあろうが、「木材」と云う割れやすい素材での細工には相当な苦労と技があるのだろう。


 単色刷りなら、版下を1つ作れば良いが、多色刷りとなると色の種類ごとに版木をそれぞれに作っていくらしい。 色の数だけ制作された版下を順次重ね合わせて刷り込んで行くのだろう。 しかし、版画としての完成図から色の種類ごとに版下を分解し、それをつなぎ合わせた結果をイメージできるという力量は、私には想像できない。

 しかも寸分の狂いもなく、一枚の紙に重ね刷りされるその技は、版木を彫る難しさに劣るものではないだろう。

 何枚にも彫り分けた部位ごとの版木に目的の色を付け、和紙を押し当て絵を写し取って行くためには、ちょっとしたズレも許されない。 このためには、色ごとの版木の共通した位置に、和紙を位置合わせする「目印」が彫り込んであるらしい。
 この紙を合わせる目印のことを、『見当』というらしい。

見当をつける」、「見当外れ」などは、日常何気なく利用する言葉であり、版画が起源であることを知らずに使っていた自分を恥ずかしく思う。

 木版印刷は、凸版印刷の基本だろうと思う。 印刷の歴史においても同じ内容の印刷物を制作するための基本的な技術であり、凸な部分にインクをつけ、紙を押し当てることで同じ印刷物を多量に制作することができる便利技法であろう。 東洋においても、西欧においても何百年、いや千男百年も以前に生み出されたものらしい。 同じ内容を多くの人に知らしめるためには恰好の方法だろう。 そんなことで宗教の世界での普及は歴史的遺産としても著名なものを作りだしている。
 Wikipediaに木版を彫る彫り師の木版画と云う面白い内容の紹介が記載されていた。(右図)

 大阪弁なのか、「しんきくさい!」、「らちがあかぬ!」という日常的な言葉に使われている「しんき」や「らち」という単語にも語源がある。 この様なことも豆知識として知っていると面白いものである。

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